本文引用


■まえがきにかえて

 タイトルどおりに「あきらめなさい」と言われて、そのとおりだと思える人は、実際に本を手にとって、読み進めることはしないだろう。ページを開き、この序文を読みだしたあなたは、広告やメディアで人を動かしたり、モノを売ったりするにはどうすればいいのだろうかと、あきらめきれずに考えているはずた。

 しかし、はじめに断言しておく。
テレビや新聞・雑誌といったマスメディアに取り上げられることや、大量の出して多くの広告枠を買うこと、それ自体によって人を動かせると思ったら、それはもはや過去の考え方だ。そうしたことは、もうあきらめたほうがいい。
 流行の新概念のベールをまとい、カタカナ言葉とともに小難しく語られる「×××マーケティング」の類いが、魔法のようなご利益をもたらすと期待することもあきらめたほうがいい。

 筆者は、広告やメディアを通じて人を動かそうとすることに関して、表面的なテクニックに関する議論ばかりが溢れかえり、小学生でもわかるような「本質」論がなおざりにされていることに、強い懸念を抱いている。
「不易流行」という言葉がある。晩年の松尾芭蕉が、俳句の本質をとらえるための理念として提起した言葉だ。

(中略)

 音楽にたとえれば、最新のヒットチャートの上位を占めるポップソングであるはずの「流行」と、時代を超えたモーツァルトやバッハのようなクラッシックである「不易」。この二つの関係が、本質的に対立するものではないと考えられているところがじつに面白い。

 そして、マーケティング手法についても同じことが言える。
 毎年のように生み出される「×××マーケティング」のような新概念というのは、つまりは「流行」だ。もちろん、「流行」が全く無意味なわけではない。ただ、表面的に「流行」だけを追いかけていても「不易」な価値、時代を超えてヒットするようなブランドや製品創出につながることは期待できない。
 むしろ『真に「不易」に徹すればそのまま「流行」を生ずる』と言われるように、いったんマーケティング・コミュニケーションにおける真に「不易」な価値、つまり時代を超えても変わらないような本質論を突き詰めるべきなのではないだろうか-そのように思い立ったことが、筆者と本田氏が本書を世に出そうとした理由がある。
(本田哲也/田端信太郎著『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。 』より P2~P5)

newspaper
photo credit: Mike Bailey-Gates via photopin cc

感想


「マーケティング・コミュニケーションにおける真に「不易」な価値、つまり時代を超えても変わらないような本質論を突き詰めるべき」という田端信太郎さんの本書の想いを記載した。

昨今、マーケティングに関してはインターネットやSNSの進展とともに新しい手法が「魔法の杖」として紹介されている。僕もその期待を抱きながら、新しいマーケティング手法の本を紹介してきた。しかし、"新しい"と言われるマーケティング手法が期待するほどの効果を得ることができないと知ると、世の中には失望にも似た空気に変わっていった。それは"新しい"と言われるマーケティング手法が「魔法の杖」かのごとくにテクニック面が強調されてまいり、「価値を伝えるためにはどうすればよいのか?」という本質的な部分が問いかけられてこなかった印象が強い。著者の田端信太郎さんは、その点に危惧を抱き、本書を執筆したのだと思う。


本書は「なぜ、人は動くのか?」という"人が行動する理由"について触れ、現代において「人が動くためにはどうすればよいのか?」という本質的な問いに対して著者2人が回答している。


「文章を通じて人と感動を分かち合いたい」と思う僕にとっても本書の内容は参考になる。そんな本書の内容を読み砕きながら、次回から紹介していきたいと思う。



関連書籍




目次


 PART1 「たくさんの人に見てもらえるほどよい」は本当か?
 PART2 なぜ、人は「動く」のか?-1000人から10億人まで、スケールごとに考える
 PART3 「人を動かす」ことをあきらめない

ブログランキングに参加しております。よろしかったらクリックをお願いいたします。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ITが苦手な事業主やブログ運営者のためのメルマガ! 登録はこちらをクリック!